すごく憧れている人がいる。
繊細な顔立ちと華やかなその人にあいさつするのもドキドキして
うまく声が掛けられないくらいだ。
話しかけられたらもう嬉しくて胸が弾んだ。
わたしはその人を反射的に「いいな」と思った。
何をやるにもテキパキと小気味良く、要領よくこなす姿はまさに「憧れ」の対象だった。
そんなひとが
或る時、泣いていた。
本当に偶然だったけど見てしまった。
そのとき変な鈍痛がしてしばらく心に痛みの感触が残った。
わたしはその人の何を知っているわけじゃないのに
勝手にその人を自分の良い様につくり
挙句の果てには憧れや羨みを纏わせていた。
あの人が笑っていたからその笑顔の裏にある何かがあるのかと考えもしなかった。
励ましや前向きな言葉を掛けられて元気にしてもらったまま。
その明るい笑顔や前向きなその姿をただ単純に、
「いいな」
という想像力も何も無い解釈しかできなかった。
今冷静に思うと、
あの時のその人が流していた涙はただゴミが目に入っただけかもしれない。
「その人」と「涙」のあまりにもイメージし難いこと自体にびっくりして、
こんなにいろいろ考えてしまったのだろう。
そうだとしても、
「その人にはその人なりの苦しみや悲しみがあって、
自分のそれと180度違うものであっても人の数だけその数も増える」という
当たり前のことを忘れていた。
どんな人もその人なりの喜びや希望といっしょに悲しみや絶望もしっている。
それはどんな人にも共通だろう。
どちらを見つめて己を押し出すかでその人は違ってくる。
嫌なことにこころ奪われて、
石につまづいて転びそうになったことにすら腹を立て愚痴をこぼすような人もいるだろう。
病に体を奪われても、
朝ベットで目が覚め、陽の暖かさを頬に感じ涙を流す人もいる。
「なに」をみるか
「どちら」を感じるか
自分はやっぱりこうやって人の力を借りないと
こんな当たり前のことにもたどり着けない
だからと無能な自分を責めるのはやめて
こうして丁寧に教えてくれる人たちのことを大切にしよう
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